【ブラタモリ】今も噴火する阿蘇、火山の見本市、お役立ち火山 [テレビ]
6月29日放送のブラタモリは熊本の阿蘇でした。
今も火山活動が続いている阿蘇山のカルデラは雄大な景色が有名ですよね。
火山というともちろん怖いイメージもありますが、阿蘇の火山は私たちの生活に大いに役立っているそうです。
というわけで、今回のお題は「阿蘇は世界一の"お役立ち"火山!?」
東京の人たちもお世話になっているという阿蘇の自然、興味深かったのでまとめてみます。
●阿蘇カルデラの成り立ち
阿蘇地域は直径20km以上の巨大なカルデラで、いくつもの火山活動で作られました。
大きな噴火には名前があり、大きく4つに分かれています。それらが…
Aso-1:27万年前
Aso-2:14万年前
Aso-3:12万年前
Aso-4:9万年前
特にAso-4は巨大な規模の火砕流が起き、今の地形のほとんどを形作りました。
火砕流は熊本中に広がり、海を渡った山口県にも火砕流が流れた形跡が残っているそうです。
大昔に作られたとはいえ、その火口に5万人もの人々が暮らす火山は世界的にも珍しいものです。
現在も活発な火山活動が続き、年間1000万人以上の観光客数が訪れます。
●火山の見本市
カルデラの中央の山は中央火口丘と呼ばれています。
その中に草千里というお椀型の草原がありますが、ここが実は3万年前の噴火の火口だったのです。
この時の噴火はプリニー式噴火と言われる壊滅的な噴火で、噴煙が成層圏まで到達することもある大規模なものです。
有名なイタリアのポンペイを埋めてしまったヴェスヴィオ火山の噴火もプリニー式噴火でした。
一方、草千里を一望できる展望台から振り返って反対側を見ると、
阿蘇のシンボルともいえる「米塚」が見えます。
神様が米を盛ったと言われる米塚は、その名の通り綺麗な山の形をしています。
こちらは、ストロンボリ式噴火と呼ばれる噴火でできたものです。
ストロンボリ噴火では、マグマがしぶき上に吹き上がり、火口の周りに土を盛ったような山ができるのです。
米塚は3000年ほど前にできたと推測されています。
既にこの地に住んでいたと思われている縄文人が噴火の様子を見ていたかもしれませんね。
さらに、同じ展望台からは、現在も噴火が続いている中岳も見えます。
この火山は火口にライブカメラがつけられていて、世界中の火山研究者が注目しています。
火口の様子がライブカメラで記録されている火山は、世界的にもほとんど例がないのです。
中岳では、灰噴火という、火山灰がもくもく上がる阿蘇山地域の典型的な噴火が毎日見られています。
さらに、活発になるとストロンボリ噴火が見られたこともありました。
火口のカメラで生のデータを収集することで、火山予測の研究にとても役立っているそうです。
こうして様々な火山が見られる阿蘇は、まさに火山の見本市というべき土地なのですね。
●「お役立ち火山」の所以
阿蘇カルデラの内部には古墳が90基ほどあり、タモリさんたちもひとつの前方後円墳を訪れていました。
これらの古墳の石室は赤く塗られていて、ベンガラという顔料が使われていました。
このベンガラが、火山の恩恵で作られているのだそうです。
カルデラの北西部、赤茶色の川が流れる地域は、土に大量の鉄分が含まれています。
ベンガラの原料となるのは、このあたりでとれる阿蘇黄土と呼ばれる赤い土。
地下のマグマは鉄分を含んでおり、このあたりの地下の穏やかな火山活動で地下水に鉄分が溶け出すことで阿蘇黄土が生まれます。
阿蘇黄土はベンガラだけでなく、クレヨンの黄土色の原料にもなっています。
また、阿蘇黄土が最も私たちの生活の役に立っている場面は、下水処理です。
硫化水素を含む臭い水に、阿蘇黄土のペレットをいれて振ると、あっという間に匂いがなくなります。
阿蘇黄土には、硫化水素の硫黄分を吸着する性質があるからです。
化学的に説明すると、硫化水素と阿蘇黄土の水酸化鉄が化学反応することで、硫化鉄と水に変わるのです。
阿蘇で採れる阿蘇黄土は、全国の半分近くの下水処理場に出荷していて、東京都では100%の下水処理場で阿蘇の土から作られた浄化剤が使われているのだそうです。
大都会、東京の人々は毎日必ず阿蘇山の阿蘇黄土の恩恵を受けているわけですね。
●阿蘇の農業
下水処理に使われるなど、メリットがある阿蘇黄土は、
一方で土を酸性にしてしまうため、農作業には天敵です。
阿蘇黄土の土壌は痩せた土地となり、作物が育たないのです。
そこでここに住む人々は昔から土壌改良を行ってきました。
カルデラを縁取る山、外輪山の上に土壌改良に役立ったあるものがあります。
それは、草原の草。
阿蘇を一望できる観光名所としても知られる大観峰の周りにも、広大な草原が広がっています。
この草を刈って、畑に撒くだけで酸性の土が中和され、土壌改良できるのです。
今は重機で草を刈り取り、畑に撒いていますが、昭和ごろまでは人の手で草を刈り取り、畑に撒いていました。
阿蘇の外輪山に広がる草原は、1万6000ヘクタール。
これは日本最大の草原です。
これが、阿蘇の名産品である高菜などの美味しい農作物のもととなっているのですね。
この外輪山の草原が農業にあまりに重要だったため、かつては草原の土地を奪い合う争いがありました。
それを示すのが、草原に張り巡らされている土塁。
草原の草を使う集落はかつて150ものグループに分かれており、それぞれのグループが使える草原を隔てていた阿蘇地域の土塁の総延長は500㎞。
これは阿蘇から大阪まで届くほどの距離です。
また、阿蘇の草原の草は畑に撒くだけでなく、阿蘇の草原のススキが全国の茅葺き屋根に使われています。
全国的に草原が少なくなっている今、全国の文化財、寺院や集落の茅葺き屋根に阿蘇のススキが使われているのです。
草原は放っておくと森林化してしまうため、草原を保つには人の手による野焼きが不可欠です。
森林化を防ぎ、若草の成長を促す大切な営みです。
現在は毎年3月に一日かけて行われ、阿蘇の風物詩にもなっています。
阿蘇の草原の地層を見ると、草原が広がっていた年代は黒い土となっています。
そして、途中で火山灰の層があります。
これは7300年前、鹿児島と沖縄の間に位置する鬼界カルデラの噴火が作った層であることがわかっています。
そして注目すべきなのが、その地層の下にも黒い層があるということです。
年代でいうと、1万年ほど前まで、黒い地層があるのです。
このことから、縄文人が野焼きをして、草原を保っていたという説が唱えられています。
オーストラリアのアボリジニは、同じ時代に野焼きをして、狩猟をしやすくしていたということがわかっています。
縄文人も狩猟のためか、農業のためか、1万年も前から野焼きをして草原を保つ営みをしていたと考えられるのです。
今でも広がる阿蘇の広大な草原を、縄文人も同じように見ていたかもしれないと思うと、ロマンを感じますね。
古来からの地球の活動によって作られためずらしい地形と、人々が共存する阿蘇。
今でも私たちの暮らしを豊かにしています。
ずっと前に行ったことがあるのですが、
今回の知識を得てもう一度ゆっくり訪れてみたいと思いました。
今も火山活動が続いている阿蘇山のカルデラは雄大な景色が有名ですよね。
火山というともちろん怖いイメージもありますが、阿蘇の火山は私たちの生活に大いに役立っているそうです。
というわけで、今回のお題は「阿蘇は世界一の"お役立ち"火山!?」
東京の人たちもお世話になっているという阿蘇の自然、興味深かったのでまとめてみます。
●阿蘇カルデラの成り立ち
阿蘇地域は直径20km以上の巨大なカルデラで、いくつもの火山活動で作られました。
大きな噴火には名前があり、大きく4つに分かれています。それらが…
Aso-1:27万年前
Aso-2:14万年前
Aso-3:12万年前
Aso-4:9万年前
特にAso-4は巨大な規模の火砕流が起き、今の地形のほとんどを形作りました。
火砕流は熊本中に広がり、海を渡った山口県にも火砕流が流れた形跡が残っているそうです。
大昔に作られたとはいえ、その火口に5万人もの人々が暮らす火山は世界的にも珍しいものです。
現在も活発な火山活動が続き、年間1000万人以上の観光客数が訪れます。
●火山の見本市
カルデラの中央の山は中央火口丘と呼ばれています。
その中に草千里というお椀型の草原がありますが、ここが実は3万年前の噴火の火口だったのです。
この時の噴火はプリニー式噴火と言われる壊滅的な噴火で、噴煙が成層圏まで到達することもある大規模なものです。
有名なイタリアのポンペイを埋めてしまったヴェスヴィオ火山の噴火もプリニー式噴火でした。
一方、草千里を一望できる展望台から振り返って反対側を見ると、
阿蘇のシンボルともいえる「米塚」が見えます。
神様が米を盛ったと言われる米塚は、その名の通り綺麗な山の形をしています。
こちらは、ストロンボリ式噴火と呼ばれる噴火でできたものです。
ストロンボリ噴火では、マグマがしぶき上に吹き上がり、火口の周りに土を盛ったような山ができるのです。
米塚は3000年ほど前にできたと推測されています。
既にこの地に住んでいたと思われている縄文人が噴火の様子を見ていたかもしれませんね。
さらに、同じ展望台からは、現在も噴火が続いている中岳も見えます。
この火山は火口にライブカメラがつけられていて、世界中の火山研究者が注目しています。
火口の様子がライブカメラで記録されている火山は、世界的にもほとんど例がないのです。
中岳では、灰噴火という、火山灰がもくもく上がる阿蘇山地域の典型的な噴火が毎日見られています。
さらに、活発になるとストロンボリ噴火が見られたこともありました。
火口のカメラで生のデータを収集することで、火山予測の研究にとても役立っているそうです。
こうして様々な火山が見られる阿蘇は、まさに火山の見本市というべき土地なのですね。
●「お役立ち火山」の所以
阿蘇カルデラの内部には古墳が90基ほどあり、タモリさんたちもひとつの前方後円墳を訪れていました。
これらの古墳の石室は赤く塗られていて、ベンガラという顔料が使われていました。
このベンガラが、火山の恩恵で作られているのだそうです。
カルデラの北西部、赤茶色の川が流れる地域は、土に大量の鉄分が含まれています。
ベンガラの原料となるのは、このあたりでとれる阿蘇黄土と呼ばれる赤い土。
地下のマグマは鉄分を含んでおり、このあたりの地下の穏やかな火山活動で地下水に鉄分が溶け出すことで阿蘇黄土が生まれます。
阿蘇黄土はベンガラだけでなく、クレヨンの黄土色の原料にもなっています。
また、阿蘇黄土が最も私たちの生活の役に立っている場面は、下水処理です。
硫化水素を含む臭い水に、阿蘇黄土のペレットをいれて振ると、あっという間に匂いがなくなります。
阿蘇黄土には、硫化水素の硫黄分を吸着する性質があるからです。
化学的に説明すると、硫化水素と阿蘇黄土の水酸化鉄が化学反応することで、硫化鉄と水に変わるのです。
阿蘇で採れる阿蘇黄土は、全国の半分近くの下水処理場に出荷していて、東京都では100%の下水処理場で阿蘇の土から作られた浄化剤が使われているのだそうです。
大都会、東京の人々は毎日必ず阿蘇山の阿蘇黄土の恩恵を受けているわけですね。
●阿蘇の農業
下水処理に使われるなど、メリットがある阿蘇黄土は、
一方で土を酸性にしてしまうため、農作業には天敵です。
阿蘇黄土の土壌は痩せた土地となり、作物が育たないのです。
そこでここに住む人々は昔から土壌改良を行ってきました。
カルデラを縁取る山、外輪山の上に土壌改良に役立ったあるものがあります。
それは、草原の草。
阿蘇を一望できる観光名所としても知られる大観峰の周りにも、広大な草原が広がっています。
この草を刈って、畑に撒くだけで酸性の土が中和され、土壌改良できるのです。
今は重機で草を刈り取り、畑に撒いていますが、昭和ごろまでは人の手で草を刈り取り、畑に撒いていました。
阿蘇の外輪山に広がる草原は、1万6000ヘクタール。
これは日本最大の草原です。
これが、阿蘇の名産品である高菜などの美味しい農作物のもととなっているのですね。
この外輪山の草原が農業にあまりに重要だったため、かつては草原の土地を奪い合う争いがありました。
それを示すのが、草原に張り巡らされている土塁。
草原の草を使う集落はかつて150ものグループに分かれており、それぞれのグループが使える草原を隔てていた阿蘇地域の土塁の総延長は500㎞。
これは阿蘇から大阪まで届くほどの距離です。
また、阿蘇の草原の草は畑に撒くだけでなく、阿蘇の草原のススキが全国の茅葺き屋根に使われています。
全国的に草原が少なくなっている今、全国の文化財、寺院や集落の茅葺き屋根に阿蘇のススキが使われているのです。
草原は放っておくと森林化してしまうため、草原を保つには人の手による野焼きが不可欠です。
森林化を防ぎ、若草の成長を促す大切な営みです。
現在は毎年3月に一日かけて行われ、阿蘇の風物詩にもなっています。
阿蘇の草原の地層を見ると、草原が広がっていた年代は黒い土となっています。
そして、途中で火山灰の層があります。
これは7300年前、鹿児島と沖縄の間に位置する鬼界カルデラの噴火が作った層であることがわかっています。
そして注目すべきなのが、その地層の下にも黒い層があるということです。
年代でいうと、1万年ほど前まで、黒い地層があるのです。
このことから、縄文人が野焼きをして、草原を保っていたという説が唱えられています。
オーストラリアのアボリジニは、同じ時代に野焼きをして、狩猟をしやすくしていたということがわかっています。
縄文人も狩猟のためか、農業のためか、1万年も前から野焼きをして草原を保つ営みをしていたと考えられるのです。
今でも広がる阿蘇の広大な草原を、縄文人も同じように見ていたかもしれないと思うと、ロマンを感じますね。
古来からの地球の活動によって作られためずらしい地形と、人々が共存する阿蘇。
今でも私たちの暮らしを豊かにしています。
ずっと前に行ったことがあるのですが、
今回の知識を得てもう一度ゆっくり訪れてみたいと思いました。
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